今日はママの駅オープンしてはじめて並ぶほどお客様が多かった日でした


テレビが放送され、ママの駅にはずっと電話が鳴りっぱなしでした。

こんなお店探していたんです!と沢山の方が問い合わせて頂き、そして店にもきてくれてママの駅をやってきて本当に良かったと思いました。

テレビ局にママの駅を紹介して下さったお客様、そしてどんなことがあってもママの駅のファンでいて下さったお客様、そして頑張ってきたスタッフ、そして陰ながら私に色々アドバイスやお叱りを下さった私のファンでいてくれた方々に感謝の気持ちであふれました。ありがとうございます(^_-)-☆」

今日は個人的な話になりますが私を10歳まで可愛がってくれた私のひいおばあちゃんの命日でもありました。毎年ひいおばあちゃんの命日にはだれにも言わず、手を合わしておりました。

ごめんなさい。これから個人的な話になるので、読みたくないかたはスルーで(笑)

昭和61年の8月26日私を可愛がってくれたひいおばあちゃんは88歳でこの世を去りました。私が小学校5年生の時でした。

私は今は感謝しておりますが、父も母も、祖母も私に良い人間になってほしいと小さいころから私に厳しい人でした。その頃は私に厳しさがどんな意味かわからなかったのでいやだなと思い過ごしていました。よくおこられて涙を流している時声をかけてくれたのはひいおばあちゃんでした。

島根に祖母と住んでいたので年1回お盆しか会えなかったのですが、3歳からひいおばあちゃんが病気で入院する小学校2年生までずっと夏になるとひいおばあちゃんに会えると思って、ずっと夏休みになるのが楽しみで頑張っていました。

ひいおばあちゃんは、いつも私を褒めてくれて、私はできの悪い子供だったのでいつも母や祖母に怒られていたけど、怒られて泣いていた私に「あなたは立派な人間だよ」と声をかけてくれたのはひいおばあちゃん。

島根へ帰ると私はひいおばあちゃんを1人占領していました。一緒にトランプで遊んで、これほしい、ひいおばあちゃんの隣で寝たいと甘えて甘えてそれでも全く私を怒らなくて、「100歳まで生きてよ!ゆびきりげんまんだよ」と何回もゆびきりをしていました。

でも、私が小学校2年生の冬、島根は大雪が降り、そこで転んでしまい入院したと連絡があり、すごく泣きました。すぐ退院すると母から、祖母から話を聞いていましたが、3年生の夏休みも入院したままで辛かったです。

辛かったからたくさんひいおばあちゃんの入院する玉造温泉病院にひいおばあちゃんのが迷惑するくらいお手紙を送ったと思います。

早く元気になってたくさん遊ぼうね、たくさんあおうね、100までいきてよたくさんお手紙を書いて切手を張ってポストに入れました。

あまりにもたくさん手紙が来るので、母のお姉さんのしんせきのおばちゃんがお見舞いがてら読みに行ってくれました。

そして小学校4年生の夏、島根でひいおばあちゃんに出会いました。外出許可が出たようで私に会いにきてくれました。いつもお手紙ありがとう、元気になるよとひいおばあちゃん私の前で涙を流してくれて、握手してくれて、でもそれが最後の会話になりました。

そして母のお姉さんのしんせきのおばちゃんもたくさん私を褒めてくれて…

でもひいおばあちゃんは昭和61年の今日、そして母のお姉さんのしんせきのおばちゃんは同じ年の11月に脳卒中でなくなりました。

ほめてくれた人が亡くなる悲しさ…さみしかったけど

それから、私は辛い時に救世主が現れてくれたり、また真剣に怒ってくれる人がいて守られているなあと思います。

今日も良い日でした。

みなさんありがとうございます(^_-)-☆

 

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