カテゴリー別アーカイブ: 駅長の子育て経験~生まれた瞬間から、お受験をへて今までの経験談~

開園1か月後…

開園した保育園は

「キッズプレイス小笹長丘保育園」でした。

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9月のシルバーウイークまでは全く問い合わせもなければ、何のうんともすんとも反応がないうえに1時預かりもない状態ですごく凹みました。

25日ごろ4人の方が見学に来てくれました。

そして入園申し込みをされていきました。

7か月の男の子、2歳の男の子、1歳の女の子に、3歳の女の子。

毎日チラシを配り、親子連れの方に渡し、本当に本当に努力してよかったと
本当に神様っているんだなそう思いました。

娘は生後半年を迎え、動くようになってきました。

ただねんねの赤ちゃんがずりばいをして時本当にうれしかったです。

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保育士試験不合格と保育園開園

2007年夏は保育士試験不合格で終わりました。

保育士試験は9教科の筆記試験があり、合格率は10%くらい(当時は)。
受かった科目は3年間有効、筆記試験が受かってから実技試験。

私にとっては保育士試験はかなりむつかしい試験でした。

その年に受かったものが5教科、おとしたものが4教科。
目の前が真っ暗になりました。

社会福祉×
児童福祉×
発達心理学○
精神保健○
小児栄養○
小児保健○
保育実習×
教育原理○
養護原理×

来年は絶対合格するぞと思いました。

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9月1日南区長丘で保育園をオープンしました。

私は保育士資格を持っていなかったので、持っている方を探すのが至難の業でしたが
最終的には見つかりうれしかったです。

ただ保育園オープン日は園児さんは0人、

保育士さん二人のお給料、家賃のお支払いを考えると経営ってむつかしいなと思いました。

夜子供を抱っこしながら、周りの家にポスティングをしていました。

でも誰も来ませんでした。

3か月お客様がいなかったら閉店!!

それが頭の中に思い浮かびました。

いや、頑張るんだ、絶対ここの保育園に人を呼んで見せる、そう思い
来る日も来る日もポスティング、ブログに書いていました。

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お母さん

話の続きを書こうと思ったけど、今日は母のことがずっと頭から離れられなかったので今日は母のことを書きます。話の続きは次回に。

母は2009年10月28日、59歳でこの世を去りました。

娘が2歳の時です。

母は私が20歳の時から引きこもりがちで、誰も信用できない状況で、1人でひっそりと暮らしていました。1人で生きていくのが自分は気が楽だと、亡くなる5年前くらいからは世間一般との連絡を遮断していました。手紙を書いても返信がない、電話にも出ない、つながればもう連絡しないでと。

父のことが大好きで、父と仲良くできなかったのがショックだったんだろうなと思います。

私は生きていればいつでも会える、また笑って話せる日が来る、だって母は病気もしない元気な人だから、今はそっとしておこうとそう考えていました。

でも突然亡くなったとき、母に対してもっと声をかければよかったとすごく後悔しました。

お母さんごめんね…悲しくて涙が出るから母をなるべく思い出さずにいつもいるけど、思い出したときは罪悪感でさいなまれます。

死因は肝臓が悪かったということで、昔は家族で笑いながら過ごした家に母が亡くなってすぐに行きました。

ストレスでたくさんお酒を飲んで、最後は血を吐いて倒れてしまった母。

母は孤独死。家のベランダで倒れてなくなっていました。

お酒の缶がたくさん自宅にあり、あんなにきれい好きだった自宅がすごく汚くて、料理が好きだった母が店屋物ばかりを食べてばっかりだった様子。

そしてずっと雨戸とカーテンを閉めて暮らしていました。

それをみて人は一人で生きていってはいけないんだと思いました。

母は島根県の田舎育ち、いつも世間の目を気にしていました。私にもこうして生きるのが正解、不正解そう教えてもらってきました。私も小さい時は母が大好きで母の言うことをなんでも聞こうそう思ってきました。

ただ私にも反抗期があって母の意見を聞けなかったことも、母の涙もみてきました。

正解、不正解を決めて生きてきた母は、私以上に苦しくて苦しくて、楽になりたかったんだろうなと思いました。

眉間にしわを寄せている母の顔をよく見た私、表面上では怖いな、ずっとそう思いびくびくしていたけど、亡くなった時顔を見ると本当に安らかで楽になったねって声をかけたくなるくらいで泣けなかったです。よかったね、楽になったね、そう思いました。

私が出産したときも連絡がなかった母、でも私の娘の写真を大切に飾っていたのを見ました。それを思い出すと涙が止まりません。孫を見たかったよね、でも自分が情けないと思い、孫の前に顔を見せられなかったんだよね、そう思いました。

28日月命日。母の大好きなお酒を持っていきます。

お母さん、娘が今元気なのはお母さんが天国で見てくれてるからだよね
お受験も合格させてくれてありがとうね

お母さんが生きていれば、本当に1日でも生きていれば一緒に喜べたのに、
もういないね。

たくさん娘の成長をお母さんには見せるからずっと見ててね。

そして私も変わるね

そう思って今日も1日過ごします。

 

 

 

娘の入院と、保育士試験

ごども病院に入院。

ずっと点滴攻めでした。3日間ミルクもおっぱいも飲まない。
小さい体なのに点滴をいっぱいされて痛々しかったです。

早く元気になるように祈りました。
入院して4日目ミルクを50ml飲んでくれた時には本当にうれしくて。

それから元気になりました。

7/10から7/17まで入院。

退院した日はうれしかったです☆

娘が入院して元気になった7/13からは保育士試験まで1か月を切っていたので必死に勉強しました。しかし、9教科は範囲が広くて手が回らない。

片手でおっぱいを飲ませながら片手で鉛筆を持ち勉強しました・

今年は全教科合格は無理かな…

でもやろう、そして宮﨑に行きました。

試験中は胸が張って痛いと思いながら試験を受けていました。

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少しずつ保育園の内装も進んでいきました。

 

しかし、再び試練が…

やっと、見つかったという喜びは束の間

「あなた保育所って夢物語だと思って聞いていたけど本気でするの?」
「資格も経験もないあなたがするの?バカじゃないの?」
「あなたの保育園で子供に何かあったらあなた一生立ち直れないよ」
「私は反対だから」

家族の反対の嵐にあいました。
保証人にもなってもらえない、辞めないといけないのかそう思いました。

でもそれが保育士試験勉強を頑張ろう!そう思いました。
保育士試験は8/7、8/8決意した日は6/30、時間はありませんでした。

娘を授乳しながら、試験勉強。

テナントの不動産屋さんの契約もすみ、園内のレイアウトもしたり、見積もりをとったりもしました。

毎日がわけわからーんで過ごしているある日、娘が朝からぐったり、ミルクもおっぱいも飲まず顔も真っ青。

その日は日曜日、急患センターに行き見てもらうと
「風邪をひいていますね。ただ生後3か月で風邪をひくということは命も危ない状況です。今日から子供病院に至急入院してください。」

目の前が真っ暗になりました。

わが子の命が危ない

その時自分に何かを神様は教えてくれた感じがしました。

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保育所探し2

日々の子育てと、保育所探し、そして子育てと保育所探しの中の試験勉強がうまくできないことにイライラしていた5月。

保育士試験は気がついたら教科が9科目もありました。
試験問題を見るとマークシートのひっかけ問題ばかり。
今年は無理!!
そう思いました。
でも合格した教科は3年有効、ならば、何教科かとっとこうそう思いました。
その気持ちが落とし穴で、全教科合格しようと思わないとズルズル試験勉強を先延ばしにしていました。

6月の末、もしかしたらここがいいと思うテナントが見つかりました。

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2階だけど日当たり抜群!99へーべーの広さ。

運命を感じました。

 

 

保育所探し

娘が生まれ生後1か月はゆっくりしていました。

1か月たったときから保育所探しに力を出しました。
2007年5月から。

○保育所のテナント探し
○保育士試験を受けること
○融資を受ける

その3つを重点的に動きました。

○保育所のテナントはなかなか見つからず
○保育士試験は問い合わせたら、国家資格なので全国試験日時が統一で締め切ったけど
宮崎県で受けるの保育士試験だけはまだ募集していると言われ、すぐに申し込みしました。
○融資は娘を連れて銀行、国民生活金融公庫を回りました。

娘と一緒に回った1か月何も成果が出ない1か月でした。

でも6月にはいってから事態がよくなりました。

その時の教訓、動いていれば神様は見てくれる

そう思いました。

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自分の子供が生まれたときに決意したこと

2007年、私の娘はこの世に生を受けました。

あれから長い年月が経ち、大きくなりました。

自分の子供が生まれたとき、初めてわが子を抱いた時、あたたかくて一生懸命呼吸をしていて目はつぶっていました。

私はほかのお母さんと比べると本当ダメダメなお母さんなんだけど、
その時は「この子を幸せにしたい」そう心から思いました。

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自分の幼少期はいつも父と母は喧嘩していてさみしかった
他の子と比べたら圧倒的に勉強もできなくて、遅れていた
ご飯がおいしいと思わない子供でご飯が嫌いだった
運動もできないいじめられる子供だった
幼稚園に入って初めて友達にあって、人見知りの多い子供だった

そんな幼少期、そしてトラウマとして残る。
この子にはそうさせたくないな、そう思い、思いついたのが自分の子供も喜んでほかの子供たちも
喜ぶ小さな託児所を作ろう、そう思いました。

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なぜかお宮参りの写真撮りの時ずっと寝て起きなかった娘の写真です。

小さい娘の寝顔を見ながら、そう決意。

周りは「資格も経験もないのにできるの?」そう言われる。

でもなぜか自信があり、「大丈夫、何とかなる!」という。

生後1か月の子供をベビーカーに載せながら、抱っこ紐に抱っこしながら銀行や、日本政策金融公庫を回る。

資金が足りないって思っている私に、主人が持ってきてくれたもの、

「助成金がもらえる資料」でした。

できると確信しました。