日別アーカイブ: 2016年7月14日

保育士試験不合格と保育園開園

2007年夏は保育士試験不合格で終わりました。

保育士試験は9教科の筆記試験があり、合格率は10%くらい(当時は)。
受かった科目は3年間有効、筆記試験が受かってから実技試験。

私にとっては保育士試験はかなりむつかしい試験でした。

その年に受かったものが5教科、おとしたものが4教科。
目の前が真っ暗になりました。

社会福祉×
児童福祉×
発達心理学○
精神保健○
小児栄養○
小児保健○
保育実習×
教育原理○
養護原理×

来年は絶対合格するぞと思いました。

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9月1日南区長丘で保育園をオープンしました。

私は保育士資格を持っていなかったので、持っている方を探すのが至難の業でしたが
最終的には見つかりうれしかったです。

ただ保育園オープン日は園児さんは0人、

保育士さん二人のお給料、家賃のお支払いを考えると経営ってむつかしいなと思いました。

夜子供を抱っこしながら、周りの家にポスティングをしていました。

でも誰も来ませんでした。

3か月お客様がいなかったら閉店!!

それが頭の中に思い浮かびました。

いや、頑張るんだ、絶対ここの保育園に人を呼んで見せる、そう思い
来る日も来る日もポスティング、ブログに書いていました。

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お母さん

話の続きを書こうと思ったけど、今日は母のことがずっと頭から離れられなかったので今日は母のことを書きます。話の続きは次回に。

母は2009年10月28日、59歳でこの世を去りました。

娘が2歳の時です。

母は私が20歳の時から引きこもりがちで、誰も信用できない状況で、1人でひっそりと暮らしていました。1人で生きていくのが自分は気が楽だと、亡くなる5年前くらいからは世間一般との連絡を遮断していました。手紙を書いても返信がない、電話にも出ない、つながればもう連絡しないでと。

父のことが大好きで、父と仲良くできなかったのがショックだったんだろうなと思います。

私は生きていればいつでも会える、また笑って話せる日が来る、だって母は病気もしない元気な人だから、今はそっとしておこうとそう考えていました。

でも突然亡くなったとき、母に対してもっと声をかければよかったとすごく後悔しました。

お母さんごめんね…悲しくて涙が出るから母をなるべく思い出さずにいつもいるけど、思い出したときは罪悪感でさいなまれます。

死因は肝臓が悪かったということで、昔は家族で笑いながら過ごした家に母が亡くなってすぐに行きました。

ストレスでたくさんお酒を飲んで、最後は血を吐いて倒れてしまった母。

母は孤独死。家のベランダで倒れてなくなっていました。

お酒の缶がたくさん自宅にあり、あんなにきれい好きだった自宅がすごく汚くて、料理が好きだった母が店屋物ばかりを食べてばっかりだった様子。

そしてずっと雨戸とカーテンを閉めて暮らしていました。

それをみて人は一人で生きていってはいけないんだと思いました。

母は島根県の田舎育ち、いつも世間の目を気にしていました。私にもこうして生きるのが正解、不正解そう教えてもらってきました。私も小さい時は母が大好きで母の言うことをなんでも聞こうそう思ってきました。

ただ私にも反抗期があって母の意見を聞けなかったことも、母の涙もみてきました。

正解、不正解を決めて生きてきた母は、私以上に苦しくて苦しくて、楽になりたかったんだろうなと思いました。

眉間にしわを寄せている母の顔をよく見た私、表面上では怖いな、ずっとそう思いびくびくしていたけど、亡くなった時顔を見ると本当に安らかで楽になったねって声をかけたくなるくらいで泣けなかったです。よかったね、楽になったね、そう思いました。

私が出産したときも連絡がなかった母、でも私の娘の写真を大切に飾っていたのを見ました。それを思い出すと涙が止まりません。孫を見たかったよね、でも自分が情けないと思い、孫の前に顔を見せられなかったんだよね、そう思いました。

28日月命日。母の大好きなお酒を持っていきます。

お母さん、娘が今元気なのはお母さんが天国で見てくれてるからだよね
お受験も合格させてくれてありがとうね

お母さんが生きていれば、本当に1日でも生きていれば一緒に喜べたのに、
もういないね。

たくさん娘の成長をお母さんには見せるからずっと見ててね。

そして私も変わるね

そう思って今日も1日過ごします。